エタリの塩辛に対する想い

エタリの塩辛(イワシの塩辛)といえば・・・
どんなことを思い出しますか?
どんなところが魅力ですか?

ここでは、塩辛を愛する人たちの「想い」をご紹介致します。
●愛好会会員(大分市匿名さん)
私が生まれ育った大分県国東半島沿岸も、昔はカタクチイワシ漁が盛んでした。
イワシ漁の時期には母が必ず作っていたのがイワシの塩辛でした。
子供のころは食が細く、ご飯がすすまないときは、母がホタテの貝殻で塩辛を炒ってくれていました。懐かしいイワシの塩辛を食べたいと思いつつも、新鮮なカタクチイワシの水揚げが途切れて久しく、諦めていました。さらに、亡くなる前の母に塩辛の作り方を教わっておけば良かった、と後悔の念も・・・取り寄せで懐かしい塩辛が食べられることに感謝!
(入会申込書より転載)

中村郁子さんの店(長崎市浜町「以久子」)は、「エタリの塩辛」が「味の箱舟」計画にリストアップされる「きっかけ」となったところ、、、郁子さんに当時を振り返ってもらいました。
中村郁子氏(「以久子」女将:小浜町富津出身)
幼い頃の忘れられぬ一品と五十年ぶりの出会い、その一品がえたりの塩辛
スローフード協会味の箱舟登録までの経緯・・・


 2003年の春、東京水産大学(現東京海洋大学)の学生さんやOBの方々の集まりが長崎造船所の会議室で行われ、その会場へ何の関わりもない私がお誘い頂きました。面々自己紹介の際、私の隣の席に、南串山町の竹下千代太さんとおっしゃる方がいて、竹下さんの祖父様の話がきっかけで話がはずみ、「私は子どもの頃忘れられぬ食べ物があります。それはいわしの塩辛です。ご当地で作って有りますか?」と尋ねたのです。その一ヶ月程度たった頃、思いがけずいわしの塩辛が私の店に届きました。送り主は竹下さん。あったかいご飯に幼い頃を思い出して、とっても美味しかったです。
 あるとき、黒川女史が知人の方とお二人でご来店下さりました。お勘定を済まされ立ち上がられた折、「あら、おちょこにお酒が・・・先生。ちょっと珍しい一品があるのでどうぞ。」と10センチほどの塩辛を小皿に一匹出したところ、食べられて「あら・・・これは?!」とその美味しさに大変驚いていらっしゃいました。
 それからまもなく、「あの時の塩辛はどこで?」と尋ねられたので、南串山町の竹下千代太様を訪ねて下さい、とお伝えしました。さらにその後、同郷(富津)で昔から良く知っている潟с}ジョウの宮崎夫妻を長崎へ呼び、「銀嶺」で黒川女史と私の四人で話をしました。
 そこから先は、黒川女史が精力的にヤマジョウ、竹下さん、三木さんと会って調査を進めていき、あれよあれよでスローフードの世界大会へ登場することになったのです。
短い期間で小さな魚が世界の舞台へ・・・常々すごいことだと一人で思ってます。
●馬場伯明氏(愛好会会員:千葉市在住、南串山町出身)

 「エタリの塩辛はいかがですか」

 南串山生まれの私は、高校までは朝のナマ(刺身)やエタリの塩辛を食い、丈夫な体を得ました。エタリイワシの獲れる故郷と料理をした母に感謝しています。「エタリの塩辛」について私の想いを少し述べます。

 「人は見た目が9割(竹内一郎)」という本を深く読めば、人の価値は見た目ではないとわかります。食物は見た目も重要ですが食ってみるのが一番です。膳に据え食わなければその味も価値もわかりません。

 私は、エタリの塩辛を肴に、夏はビールです。また、炊き立ての熱いご飯に2匹のせ「はふはふ」とかき込みます。ともに極上の故郷の味です。悠久のときの流れに比べれば人生は短いものです。エタリの塩辛を食った経験がある人とそうでない人との人生の価値には大きな差がついてしまうでしょう。

 ともあれ、「まず食うが先」「百聞は一食にしかず」とはっきり言えます。あなたの食生活と人生に大きな転機をもたらすかもしれません。小泉武夫教授(東京農大)に「感動ものであります」といわせたエタリの塩辛を、見た目を無視し敢然と食う勇気を持った、食通の「蓼食う虫」に変身してみてはいかがですか。


●井上和則氏、井上博人氏 (南串山町在住)〜フリーマガジン「ぷちトラ」より
なお、エタリの塩辛にまつわる思い出話など、ございましたら、
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